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 11月半ばの水曜日、アーサーは仕事上の用件で社長室を訪れた彼の個人的な顧問弁護士、コンラート・ギボンズと昼食に出かけた。会社近くの「ラピス」というレストランは周囲のレストランよりも少々値段が高めに設定されているので、昼食時間真っ只中でもあまり混まない。広い店内にはスペースを十分取ってテーブルが配置されていて、かつ奥まった静かな通りにあるので、ゆっくり商談をしながらランチを食べるには最適の店だ。もっとも、アーサーとコンラートの2人は会社で用件を済ませてきたので、食事をしながらの彼らの話題はいつもとは違ったものだった。テーブルに付いて料理を注文しおえるとコンラートが徐に口を開いた。
 「実は、婚約したんだ」
彼は微笑むでもなく、照れるでもなく、まるで企業を買収するときの手続きを説明するかのように淡々と話し始めた。
「ついては来週の土曜日の昼、ちょっとしたお披露目のパーティーをするので、是非来てもらいたい」
「ほう」
アーサーもほとんど表情を変えずにいたが、内心では驚いていた。コンラート・ギボンズはアーサーより3歳年下で、現在34歳。実家は格式ある古い家系で資産家。しかも代々弁護士を生業としていて彼の父親も祖父も曾祖父も弁護士だったという。若いがかなり優秀で仕事は完璧。彼を顧問弁護士にしてから7年になるが、アーサーは今まで彼の仕事ぶりに失望したことはただの一度もない。しかし、コンラートは仕事を離れて一個人として向き合うとなると、いささか不可思議な人物だった。とにかくクールで、いかなる時も感情というものを露わにしたことがない。ましてや女性に気がある素振りなど見せたことがないので、女嫌いどころか、もしかしたら人間嫌いなのかもしれないと、アーサーが疑ったのは一度や二度ではなかった。その彼が婚約すると言う。
「それはおめでとう」と、とりあえず祝いの言葉を述べた後で、アーサーは率直に言った。
「しかし、君が結婚するとは意外だな。女に興味がないと思っていた」
「そうだな」コンラートは僅かに肩をすくめた。「実際、あまり興味はないな」
「しかし、結婚するんだろう?」
「ああ、そろそろ結婚しないと問題のある年齢だ」
アーサーが眉を吊り上げるのを見て、コンラートは続けた。
「君みたいに相手をするのが企業人だけならいいが、僕のように一般人の顧客が相手となると、どうもこの歳で結婚していないのは仕事上マイナスになるらしい。人間的な信用度の問題ということになるかな。『まあ、あの弁護士さん、ご立派な職業なのに、あのお歳でまだ結婚されていないなんて、何か問題あるのかしら』ってね。世間では、この『問題』というやつを色々と、とんでもない方向で考えるからな……」
「なるほど」
コンラートの言わんとするところは完璧に理解できたのでアーサーは頷いた。
「母も結婚しろと数年前から煩く言っていたし、母の友人の知り合いの娘という女性を2か月ほど前に紹介されて、まあ、彼女ならいいだろう、と結婚することにした」
「ほう……。いろいろ条件が釣り合ったというわけだ」
「ああ、家柄、容姿、学歴、社交性。どれをとっても申し分ない」
「しかし……、少なくとも、彼女に好感は持ったんだろう? 結婚するということはこれから何年にもわたって一緒に暮らすということだし……」
「好感?」コンラートは少しぽかんとした表情で言った。「そうだな、まあ、彼女の条件は気に入ったな。それに結婚してもお互いあまり干渉しないで暮らしたいと言うところも」
これにはさすがのアーサーも黙り込んだ。変な奴だと思っていたが、彼の女性観、というより、人間観は彼の理解を越えていた。複雑そうなアーサーの表情をちらりと見て、コンラートは話を続けた。
「だが、子供は欲しいな」
意外なセリフに、アーサーは微か眉をあげて彼の顔を見た。
「僕の家、僕の財産、そして僕の遺伝子を受け継ぐ子供は是非欲しい。男でも女でも、生まれたら僕が教育してやる。僕の知識も受け継いでほしいんだ。君もそう思わないか? 君が持てるものをそのまま墓に入れてしまうのはもったいないだろう」
「ああ、そうだな」
アーサーは頷いた。そして想像してみた。自分の子供を。髪はやはり黒だろう。あまりウェーブはかかっていないはずだ。瞳は……相手の女性によるな。アーサーの頭の中に、黒髪の小さな生まれたばかりの赤ん坊が浮かんだ。小さすぎて性別は分からない。そして、その赤ん坊を抱いている女性もいる。
――ゲ……――        
 頭に浮かんだその女性の顔は、ミス・ラングドンだった。慌ててその像を頭の中から振り払う。
「どうした?」
「い、いや、なんでもない」
アーサーは水を飲んで誤魔化した。心臓がドキドキ鼓動しているのに気が付いて少し青ざめる。自分が狼狽していることに更に狼狽した。
――たぶん、きっと疲れているせいだ、きっとそうだ――

 アーサーはコンラートと別れて、会社に戻った。早めに食事に出たから、昼食時間はまだあと20分ほど残っている。自分のオフィスに入るために、秘書室に入ると、ミス・ラングドンが机の上に突っ伏していた。何か病気か?と一瞬心臓がひやりとしたが、どうやら寝ているらしい。アーサーは肩をすくめて彼女の机の前を通り過ぎようとしたが、ふと、その足を止めた。
「だめ……、駄目よ……」
机に伏したまま、ミス・ラングドンが何か言っている。
「そっちに行かないで、戻って、お父様……、お父様……」
アーサーはミス・ラングドンを見下ろし、じっと凝視した。彼女の横向きになった顔が苦しげに歪んでいる。
「お父様!お母様!」
悲痛な彼女の声に耐え切れなくなり、アーサーは彼女の肩をゆすった。
「おい、おいミス・ラングドン! おい」
いきなりミス・ラングドンが目を開き、がばっと跳ね起きた。大きな灰色の瞳がひときわ大きく見開かれている。それは恐怖の表情以外の何物でもなかった。
「どうしたんだ」
アーサーは彼女に問いかけたが、彼女はまるで100mを全力疾走したかのように肩で息をしていて、喋ることができない。彼は彼女の息が整うのを待ってもう一度尋ねた。
「大丈夫か?」
「大丈夫です」
「どうした?」
「夢を見ていたんです。ちょっと……怖い夢だったので……」
彼女のガラスのような瞳に見つめられているうち、アーサーは妙な気分になって拳を固く握りしめた。
「化粧室へ行ってきます」
彼女はそう言って立ち上がり、アーサーの横をすり抜けて秘書室を出て行った。アーサーの体から力が抜けていく。彼は社長室に入りながら、もし、彼女と自分の間に机がなかったら、とっさに彼女を抱きしめていたかもしれないと考えた。それほどまでに彼女の姿は痛ましかったのだ。彼は自分の椅子に座ると、しばらく考え込み、それから携帯を取り出して電話を掛けた。
「やあ、ベネディクト、今仕事はあいているかい? 頼みたいことがあるんだ」
彼は電話の相手に向かって用件を伝え、電話を切ってから組んだ手の上に頭を乗せた。


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 コンラート・ギボンズの婚約者はなるほど美人だった。細長い顔立ち、シミひとつない肌、まっすぐ通った細い鼻筋。それぞれのパーツのバランスもいい。だが、冷淡そうな女性だ、とアーサーは彼女を一目見てそう思った。唇は薄く、眉はきりりと吊り上り、人に笑顔を向けている時でも不思議なくらい、目だけは笑っていない。
――ミス・ラングドンとは全然ちがう――
ミス・ラングドンも仕事の時はいつも取り澄ましているが、よくよく見ていると、彼女の目は雄弁に感情を物語っている。怒り、苛立ち、戸惑い、困惑、驚きなどなど。最近では目を見るだけで、繊細な彼女の心の機微がわかるようになってきた。自分に向けられる感情のバリエーションがあまり楽しくないものばかりに集中するのは致し方なし、とアーサーは納得していた。自分の彼女に対する態度も褒められたものではないのだろう。
「初めまして。ナタリア・クルーズです」
コンラートの婚約者がやって来てアーサーに手を差し出した。
「初めまして。このたびはご婚約、おめでとうございます」
お祝いの言葉を口にしながらアーサーは彼女の手を取った。冷たい手だった。女性の手が冷たいのは別に珍しいことではなかったが、アーサーは奇妙な違和感を感じた。何となく人の手を握っている感じがしなかったのだ。握手が終わると、ナタリアはにこやかに話し始めた。
「コンラートからあなたのお話はよくお伺いしています。あなたの弟さんが画廊を経営されている。テリー・キャラハンだと聞いて驚きましたわ。私、彼の店で2枚ほど絵を買ったんです」
「そうですか。弟の店の売り上げに貢献していただいて、僕からも礼を言います」
「まあ、お礼だなんて。あの店はあまり有名な画家の作品はありませんけど、でも、とてもいい絵を置いてあるとので感心していたんです」
なるほど、とアーサーは思った。コンラートが言ったように美しいだけではなく社交術も申し分ない。良い絵を見極めることが出来るだけの教養もあるということか。だが、彼はナタリアの隣に立つコンラートを見てほんの少しだけ眉を顰めた。彼の彼女を見る視線ががとても婚約者を見るようなものではないのだ。彼が顧客を見ている時の方がまだ感情が窺える。彼はナタリアを見ているようで実はまったく見ていなかった。
 
 パーティーはコンラートの家ではなく、彼の父親の実家で行われた。シティーから高速を飛ばして2時間。気軽に行き来が出来る距離ではないが、そこでパーティーを開くことにこだわったのはコンラート自身だという。なるほど、屋敷は17世紀に建築された大邸宅で大人数を招待してパーティーを開くのに十分な広間があるし、調度品も由緒ある高級なものばかりだ。料金を取って、一般に公開してもいいくらいの博物的価値がある。だが、彼がここでの開催にこだわったのは、見栄えを重視したからではない。この屋敷に住んでいる目の見えない祖母に、わざわざシティーに来させるという負担を掛けたくなかったからだ、とコンラートは言った。どういった事情があるのかアーサーにはわからなかったが、コンラートは祖母のことを非常に大切にしている。
 立食形式のパーティーは大広間で午前11時から始まった。招待されたのはコンラートとナタリアの近しい親せき、友人、それからコンラートにとって重要な顧客(アーサーはこのカテゴリーに入る)、およそ50人だ。アーサーはコンラートの両親やほかの招待客と当たり障りのない世間話をしながら時間を過ごしていたが、それもそろそろ苦痛になりかけていた頃、誰かに背後から背中をポンと叩かれた。
「やあ、待っていたよ」
振り返ったアーサーは目の前に立っている小柄な青年を見ると笑顔になった。彼はベネディクト・オーマン。コンラートの従兄で探偵だ。歳は若いが、探偵としての腕前は一流で、アーサーは数年前にコンラートから紹介されて以来、仕事にかかわる様々な調査を彼に依頼している。
「遅くなってすみません」
ベネディクトは申し訳なさそうに頭を垂れてからアーサーの耳元で囁いた。
「調査結果は何時お渡ししましょうか?」
「今もらおう。ただ、ここではまずいな。新鮮な空気を吸いたくなってきたから、ちょっと外に出ようか」
「わかりました」
 アーサーはベネディクトから報告書を受け取ったら帰るつもりだったので、先にコンラートのもとに寄って暇乞いをすると、ベネディクトの後を追ってテラスから外へ出た。11月にしては寒い日だったが、人いきれでむんむんする部屋から出てきたアーサーにとっては空気の冷たさが清々しく感じられた。
「これが、ミス・エレイン・ラングドンに関する調査報告書です」
屋敷の裏手にある庭園の片隅にイチイの茂みがあり、その下のベンチに二人並んで腰を下ろすと、ベネディクトはブリーフケースから茶封筒を取り出してアーサーに差し出した。
「ありがとう。ご苦労だった」
アーサーはベネディクトを労ってから糊付けされていない封筒から数枚の紙がクリップでまとめられた報告書を取り出した。
「ざっと説明させていただきますが」と前置きしてベネディクトは話し始めた。「ミス・ラングドンの実家はターブロンの名家でして、代々ターブロン一帯の大地主の家系でしたが、世界大戦以降、その資産は徐々に目減りしていったようです。しかしまだかなりの資産が残されていたのですが、彼女の父親、ミスター・オットー・ラングドンがその資産を使って観光開発関係の会社を買い取り、経営に乗り出したことが致命的でした」
耳でベネディクトの話を聞きながら、アーサーは報告書を捲り、目では細かな数字を追っている。
「彼が経営に手を出し始めてわずか5年で会社は破産寸前になり、その時に潔く倒産させていれば彼の資産を全部投げ出すことで負債を精算できたはずなんです。しかし、彼は何とか倒産を免れようと……まあ、悪足掻きをし、結果的にそれはただ借金を増やしただけだったようです。なんというか、彼にはその……経営の才覚がまるでないというか……」
「そのようだな」
アーサーは報告書から目を離すことなく呟いた。
「彼が夫人と一緒に事故で亡くなったのが5年前。彼の抱えた負債を精算するのに、彼に残された屋敷を処分し、ミス・ラングドンに渡されるはずだった生命保険まで返済に充ててもまだ多額の負債が残りました。そこで彼女の祖母、これは夫人の実家の方になりますが、ミセス・フォードが自分の屋敷や土地を売って援助したわけです。それでようやくミス・ラングドンが個人で銀行から借り入れることができる額にまで借金は減りました。それでも、若い女性にとっては大変な額です。何しろ15年ローンですから」
「ミスター・アビントンはそのあたりの経緯はみんな知っていたのか?」
「ええ、もちろん。彼女の借り入れに関しては彼が保証人になってますから」
「なるほど……」
 報告書に目を通し終えると、アーサーはそれを封筒に仕舞い、ベンチから立ち上がった。
「有難う。いつも助かるよ。謝礼はいつもの口座に振り込んでおく」
「どういたしまして」
ベネディクトもベンチから腰を浮かす。そして彼よりずいぶん背の高いアーサーの顔をまじまじと見つめた。今回のアーサーからの調査以来は、今までの調査と少しばかり毛色が違っていたので、彼としては興味津々なのだ。だが、クライアントに対して立ち入ったことを聞くのはマナー違反。そう心得てベネディクトは何も言わなかった。

 アーサーはギボンズ邸を後にして帰路に就いた。時計をちらりと見て、この調子だと3時には家に着けると判断した彼は閑散とした田舎道でさらにアクセルを踏む足に力を入れた。今日はオリアナがミス・ラングドンとミセス・フォードを自宅に招くことになっている。オリアナの相手ばかりでは間が持たないだろうと思い、彼はマグダとミセス・ファリントンに来てくれるように頼んでおいた。今頃は皆で昼食を食べた後、暖炉の前で寛いでいることだろう。アーサーは自分の家の居間でおしゃべりをしながらゆったりと椅子に座っているミス・ラングドンを思い描いた。
「……」
アーサーは胸の内が暖かくなるのを感じた。
――あの家はきっと彼女に似合っている――
アーサーはさらにアクセルを強く踏み込んだ。オリアナ達が引き留めてくれるはず、とは思うが、どうしても彼女が帰ってしまう前に帰り着きたかったのだ。
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