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 8月半ばの日曜日、アーサー・ファリントンは伯母のマチルダ・ファリントンに会いに、ファリントン邸を訪れた。シティ郊外の高級住宅地にあるファリントン邸は、広大な庭に囲まれた壮麗なバロック様式の建造物で、館とか、屋敷と言うより宮殿に近い。アーサーは玄関前の広場に適当に車を止めると玄関に向かった。巨大な扉の横にはインターフォンのボタンもあるが、アーサーはドアに取り付けられている年代物のノッカーを使ってドアを叩いた。数十秒後、微かな音ともに扉が開いて、執事のネイサン・ブレッドが顔を覗かせた。
「これは、これは、アーサー様。ようこそおいでくださいました」
いかにも厳格な執事そのものといった風貌のネイサンがアーサーを見るなり顔をほころばせる。
「やあ、ネイサン。こっちに来るのもずいぶん久しぶりだが、みんな恙無かっただろうね」
「ええ、皆様お元気でいらっしゃいます。エドワード様が別邸に移られてから多少静かになりましたが」
「伯父上と伯母上はいるかい?」
「旦那様は北部の大学での集中講義でここ1週間ほど留守にされていらっしゃいます。奥方様はテラスの方です。どうぞ、お入りください」
ネイサンが館の中に通そうとするのをアーサーは断った。
「いや、こっちから回っていこう。庭も見たいし」
「では、テラスの方にコーヒーをお持ちします」
ネイサンは一礼してホールの中に引っ込むと扉を閉めた。アーサーはポーチの段を下りて、館の右手に向かった。ネイサンの言うテラスとは庭全体を見渡せる屋敷の裏手の方にある客間のテラスのことだ。アーサーは色とりどりの花が咲き乱れる美しい庭を右手に見ながら館を回り込むように歩いていった。
 
 テラスに置かれた籐椅子に座って手紙を読んでいたレディ・マチルダ・ファリントンはアーサーの足音に気が付いて顔を上げ、彼の姿を見つけると笑顔になって立ち上がった。
「アーサー。よく来たわね」
彼女がアーサーに向かって数歩足を進めた時には、彼は既に目の前に立っていて、レディ・ファリントンは自分より遥かに背の高い甥の体を抱きしめた。
「お久しぶりです。伯母上。お元気でしたか?」
アーサーは60歳に近いと言ってもまだ張りのあるレディ・ファリントンの頬にキスをして言った。
「ええ。あなたは?相変わらず仕事ばっかりしてるんでしょう」
彼女の言葉にアーサーは笑い声を上げた。
「いや、全く、その通りですよ。ここ数週間、食事と睡眠以外はほとんど仕事しかしてないことに気が付きまして。今日はちょっと気分転換にここに来たんです」
「本当にもう!」
レディ・ファリントンはわざとらしく溜息をついて、再び椅子に腰をおろした。アーサーも彼女の隣の椅子に座る。
「女嫌いと嘯くのもいい加減にして、早く結婚しなさい。あなたもう、37歳でしょう?このままだと本当に一生1人で仕事に明け暮れる寂しい人生を送ることになるわよ」
ここに来れば、その手の小言を聞かされることになるのはわかっていたが、それを承知の上でファリントン邸に足を運んだのは、むしろ、その小言を聞くためなのかもしれないと彼は思った。
「僕だってね、伯母上。これだ、と思う女性がいれば結婚したいんです」彼は本音を語った。「でも、なかなかいないんですよ。どうやら僕は愛の女神に見放されているのかもしれない」
「あなたが本気になって探さないからよ。そもそも、若い女性のいる所になんか行こうとしないじゃないの。おまけにあなたが自分のことを『女嫌い』と触回ってるせいで、女性の方から避けられてるのよ。わかってるの?」
「ええ、まあ」
アーサーはくすくす笑いながら曖昧に呟いた。昔はアーサーのナニーをしていて、今は家政婦をしているマーサもしょっちゅう同じことを言ってるが、レディ・ファリントンの小言は何故だか耳に心地いい。
「そうね、まず、あなたに必要なのは出会いの場ね。そうだわ、丁度良かった。ここに何通か」そういってレディ・ファリントンはテーブルの上に置いた手紙の山を手に取った。
「パーティーの招待状があるから、これに……」
「待ってください、伯母上」
アーサーは手紙を繰りだしたレディ・ファリントンの手を掴んだ。
「僕の探し求める女性は、そういうところにはいません」
「何故そんなことがわかるの?」
「伯母上は伯父上とどこで出会ったんですか?エドワードがマグダと出会ったのは、サウスロックの森の中、ヘンリーとアリスは公園で、ケインとユージェニーは……?高価な服にブランド物の靴やバッグ、それに美容とダイエットのことしか頭にない女性はお断りです」
「それは偏見というものよ」
レディ・ファリントンはそう言いながらも手紙の束をテーブルに戻し溜息を吐いた。
「あなたの言わんとすることはわかるわ。でもねえ……」
溜息と一緒に落とした彼女の肩を軽く叩いてアーサーは言った。
「僕のことは自分で何とかしますよ。伯母上は伯父上とエドワードとマグダとヘンドリックのことだけ考えていればいいでしょう」
「ああ、ヘンドリックと言えばね。まだ3ヶ月なのに、もう寝返りがうてるのよ。それにね……」
レディ・ファリントンは孫のことが話に出てきたとたん、ぱっと顔を明るくして、滔々と自慢の孫について語り始めた。
 
 「実は、ジョー・アビントンが自分の会社を引き継がないか、と言ってきたんです」
レディ・ファリントンの孫自慢が一段落つき、ネイサンが持ってきたコーヒーを口に出来るようになってからアーサーは言った。
「まあ、ジョーが? 彼の会社はうまくいってないの?」
レディ・ファリントンは口に運びかけたカップをソーサーに置いて心配そうにアーサーの顔を見つめた。
「いえ、彼の会社は大企業と言うほどではありませんが、堅実ですし、業績はいいんです。彼は引退して余生を静かに暮らしたいと言ってましたが……。それにしても、何故、僕なのかな?」
「そうねえ……、ロジャーもケネスも会社を継ぐ気はないようだ、と、以前ジョーが言ってたことがあるわ。2人とも学者でしょう?確かに会社経営には縁がないわね」
「別に息子に譲らなくても、会社内には生え抜きの優秀な人物もいるはずですが……」
「あなたなら任せて安心と思ったんじゃない?それで、その話受けるの?」
「さあ、まだ決めてません。今までいろんな会社の経営に係わってはきましたが、基本的に今まで1人で気ままにやってきましたからね。今更組織の中に入って……何をするのかな、と思わないわけではないんです」
「と言うことは、考えてみても良いと思っているのね」
「そうですね。この話が3年前に来たのであれば、すぐに断っていただろうとは思いますが……」
アーサーはそれっきり口を閉ざしてしまった。コーヒーを飲みながら、何か考え込んでいる様子だ。レディ・ファリントンはそんな彼を見て満足気に微笑んだ。
――どこか一箇所に腰を落ち着けるのはいいことだわ。彼も、そろそろそうするべきだと気付き始めたのよ――
 3歳の時に母親をなくしたアーサーを、レディ・ファリントンは自分の息子のように思い見守ってきた。一人息子のエドワードは若い頃、アーサーの真似をして独身主義を託っていたが、縁があってマグダという素晴らしい女性と出会い、結婚し、3ヶ月前に子供も生まれた。アーサーの異母兄弟たちは放っておいても、いずれ相手を見つけて結婚するだろう。今の彼女の気がかりは、アーサーが未だに独身で、結婚する気配がまるでないということだった。
――でも、彼にぴったりの女性がいたら、彼は必ず結婚して、良い夫、良い父親になることは間違いないんだけど――
問題は、そんな女性が本当にいるのか、いるとしても、彼が老人になってしまう前に出会うことが出来るのか、ということだった。
 
 アーサーはファリントン邸から自宅に帰るために車を運転しながら、ジョー・アビントンの会社の件を考えていた。1つの会社に腰をおろし、ひとつの会社のことだけを考え、経営していく……。ジョーから話を聞いたときにはそんな状況が酷く退屈なことのように思えた。彼の会社を引き継ぐということは、今のように多額の資金を動かし、会社の買収と経営の建て直しをいくつも同時並行的に行うというようなことはもう出来なくなるだろう。当然、収入も減る。
「収入か……」
アーサーは1人呟いた。これ以上金を稼いでどうするんだろうという考えが不意に浮かんでくる。
 アーサーの父親、ロドニー・ファリントンは、最愛の妻を亡くして以来、家への執着をなくしてしまったように旅に明け暮れるようになった。仕事にも就かない唯の風来坊だ。そんな父親に代わって、彼の友人であり、彼の家の管財人を務めていたジェームズ・マクラウドが、彼が父親から受け継いだ資産を運用して金を稼ぎ、アーサーたちの生活を支えていた。アーサーはそんなジェームズを見て育ち、自分も大学生になってから株で金を稼ぎ始め、稼いだ資金を元に株や為替相場、先物取引などに投じ、更に資産を増やしていった。
 稼いだ金は次の取引に使う他は、ほとんど弟たちのために積み立てていた。ニコラスの母親ジュリアも、テリーとタイラーの母親アンも家に滅多に寄り付かないロドニーに愛想を尽かし、弟たちを置いて家を出て行ってしまった。彼女たちがロドニーと結婚したのも贅沢な暮らしのためであって、もともと彼に対する愛情も薄かったのだろう。
 だが、その弟たちももう独立し、アーサーの支援はいらなくなった(もっとも、彼らが起こした事業が危なくなったら助けるつもりだが)。残るのはまだ9歳のオリアナだけだ。現実的にはそれほど収入は必要なくなった。5年前に廃屋同然となっていた母親の実家を買い取り、今は自分の家もある。これ以上金を稼いでいったい何に使うのだろう。綺麗なドレスや宝飾品を買ってあげる妻も、夏休みにバカンスに連れて行く子供もないのに……。
 アーサーは溜息をついてハンドルを叩いた。そして、もしかしたら、自分はジョーの話を受け入れるかもしれない、と思った。
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