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 コンラート・ギボンズの婚約者はなるほど美人だった。細長い顔立ち、シミひとつない肌、まっすぐ通った細い鼻筋。それぞれのパーツのバランスもいい。だが、冷淡そうな女性だ、とアーサーは彼女を一目見てそう思った。唇は薄く、眉はきりりと吊り上り、人に笑顔を向けている時でも不思議なくらい、目だけは笑っていない。
――ミス・ラングドンとは全然ちがう――
ミス・ラングドンも仕事の時はいつも取り澄ましているが、よくよく見ていると、彼女の目は雄弁に感情を物語っている。怒り、苛立ち、戸惑い、困惑、驚きなどなど。最近では目を見るだけで、繊細な彼女の心の機微がわかるようになってきた。自分に向けられる感情のバリエーションがあまり楽しくないものばかりに集中するのは致し方なし、とアーサーは納得していた。自分の彼女に対する態度も褒められたものではないのだろう。
「初めまして。ナタリア・クルーズです」
コンラートの婚約者がやって来てアーサーに手を差し出した。
「初めまして。このたびはご婚約、おめでとうございます」
お祝いの言葉を口にしながらアーサーは彼女の手を取った。冷たい手だった。女性の手が冷たいのは別に珍しいことではなかったが、アーサーは奇妙な違和感を感じた。何となく人の手を握っている感じがしなかったのだ。握手が終わると、ナタリアはにこやかに話し始めた。
「コンラートからあなたのお話はよくお伺いしています。あなたの弟さんが画廊を経営されている。テリー・キャラハンだと聞いて驚きましたわ。私、彼の店で2枚ほど絵を買ったんです」
「そうですか。弟の店の売り上げに貢献していただいて、僕からも礼を言います」
「まあ、お礼だなんて。あの店はあまり有名な画家の作品はありませんけど、でも、とてもいい絵を置いてあるとので感心していたんです」
なるほど、とアーサーは思った。コンラートが言ったように美しいだけではなく社交術も申し分ない。良い絵を見極めることが出来るだけの教養もあるということか。だが、彼はナタリアの隣に立つコンラートを見てほんの少しだけ眉を顰めた。彼の彼女を見る視線ががとても婚約者を見るようなものではないのだ。彼が顧客を見ている時の方がまだ感情が窺える。彼はナタリアを見ているようで実はまったく見ていなかった。
 
 パーティーはコンラートの家ではなく、彼の父親の実家で行われた。シティーから高速を飛ばして2時間。気軽に行き来が出来る距離ではないが、そこでパーティーを開くことにこだわったのはコンラート自身だという。なるほど、屋敷は17世紀に建築された大邸宅で大人数を招待してパーティーを開くのに十分な広間があるし、調度品も由緒ある高級なものばかりだ。料金を取って、一般に公開してもいいくらいの博物的価値がある。だが、彼がここでの開催にこだわったのは、見栄えを重視したからではない。この屋敷に住んでいる目の見えない祖母に、わざわざシティーに来させるという負担を掛けたくなかったからだ、とコンラートは言った。どういった事情があるのかアーサーにはわからなかったが、コンラートは祖母のことを非常に大切にしている。
 立食形式のパーティーは大広間で午前11時から始まった。招待されたのはコンラートとナタリアの近しい親せき、友人、それからコンラートにとって重要な顧客(アーサーはこのカテゴリーに入る)、およそ50人だ。アーサーはコンラートの両親やほかの招待客と当たり障りのない世間話をしながら時間を過ごしていたが、それもそろそろ苦痛になりかけていた頃、誰かに背後から背中をポンと叩かれた。
「やあ、待っていたよ」
振り返ったアーサーは目の前に立っている小柄な青年を見ると笑顔になった。彼はベネディクト・オーマン。コンラートの従兄で探偵だ。歳は若いが、探偵としての腕前は一流で、アーサーは数年前にコンラートから紹介されて以来、仕事にかかわる様々な調査を彼に依頼している。
「遅くなってすみません」
ベネディクトは申し訳なさそうに頭を垂れてからアーサーの耳元で囁いた。
「調査結果は何時お渡ししましょうか?」
「今もらおう。ただ、ここではまずいな。新鮮な空気を吸いたくなってきたから、ちょっと外に出ようか」
「わかりました」
 アーサーはベネディクトから報告書を受け取ったら帰るつもりだったので、先にコンラートのもとに寄って暇乞いをすると、ベネディクトの後を追ってテラスから外へ出た。11月にしては寒い日だったが、人いきれでむんむんする部屋から出てきたアーサーにとっては空気の冷たさが清々しく感じられた。
「これが、ミス・エレイン・ラングドンに関する調査報告書です」
屋敷の裏手にある庭園の片隅にイチイの茂みがあり、その下のベンチに二人並んで腰を下ろすと、ベネディクトはブリーフケースから茶封筒を取り出してアーサーに差し出した。
「ありがとう。ご苦労だった」
アーサーはベネディクトを労ってから糊付けされていない封筒から数枚の紙がクリップでまとめられた報告書を取り出した。
「ざっと説明させていただきますが」と前置きしてベネディクトは話し始めた。「ミス・ラングドンの実家はターブロンの名家でして、代々ターブロン一帯の大地主の家系でしたが、世界大戦以降、その資産は徐々に目減りしていったようです。しかしまだかなりの資産が残されていたのですが、彼女の父親、ミスター・オットー・ラングドンがその資産を使って観光開発関係の会社を買い取り、経営に乗り出したことが致命的でした」
耳でベネディクトの話を聞きながら、アーサーは報告書を捲り、目では細かな数字を追っている。
「彼が経営に手を出し始めてわずか5年で会社は破産寸前になり、その時に潔く倒産させていれば彼の資産を全部投げ出すことで負債を精算できたはずなんです。しかし、彼は何とか倒産を免れようと……まあ、悪足掻きをし、結果的にそれはただ借金を増やしただけだったようです。なんというか、彼にはその……経営の才覚がまるでないというか……」
「そのようだな」
アーサーは報告書から目を離すことなく呟いた。
「彼が夫人と一緒に事故で亡くなったのが5年前。彼の抱えた負債を精算するのに、彼に残された屋敷を処分し、ミス・ラングドンに渡されるはずだった生命保険まで返済に充ててもまだ多額の負債が残りました。そこで彼女の祖母、これは夫人の実家の方になりますが、ミセス・フォードが自分の屋敷や土地を売って援助したわけです。それでようやくミス・ラングドンが個人で銀行から借り入れることができる額にまで借金は減りました。それでも、若い女性にとっては大変な額です。何しろ15年ローンですから」
「ミスター・アビントンはそのあたりの経緯はみんな知っていたのか?」
「ええ、もちろん。彼女の借り入れに関しては彼が保証人になってますから」
「なるほど……」
 報告書に目を通し終えると、アーサーはそれを封筒に仕舞い、ベンチから立ち上がった。
「有難う。いつも助かるよ。謝礼はいつもの口座に振り込んでおく」
「どういたしまして」
ベネディクトもベンチから腰を浮かす。そして彼よりずいぶん背の高いアーサーの顔をまじまじと見つめた。今回のアーサーからの調査以来は、今までの調査と少しばかり毛色が違っていたので、彼としては興味津々なのだ。だが、クライアントに対して立ち入ったことを聞くのはマナー違反。そう心得てベネディクトは何も言わなかった。

 アーサーはギボンズ邸を後にして帰路に就いた。時計をちらりと見て、この調子だと3時には家に着けると判断した彼は閑散とした田舎道でさらにアクセルを踏む足に力を入れた。今日はオリアナがミス・ラングドンとミセス・フォードを自宅に招くことになっている。オリアナの相手ばかりでは間が持たないだろうと思い、彼はマグダとミセス・ファリントンに来てくれるように頼んでおいた。今頃は皆で昼食を食べた後、暖炉の前で寛いでいることだろう。アーサーは自分の家の居間でおしゃべりをしながらゆったりと椅子に座っているミス・ラングドンを思い描いた。
「……」
アーサーは胸の内が暖かくなるのを感じた。
――あの家はきっと彼女に似合っている――
アーサーはさらにアクセルを強く踏み込んだ。オリアナ達が引き留めてくれるはず、とは思うが、どうしても彼女が帰ってしまう前に帰り着きたかったのだ。
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