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 管理人のMrs.Greenと申します。趣味で稚拙な恋愛小説などを書いています。
 このブログは、管理人のHP「翡翠館」の中にアップした小説の、サブストーリーと言うか、裏話をちょこちょこ書いていくために作りました。本編の話自体が稚拙なので、その裏話ともなると、もう、存在理由もわからなくなるような、どーでもいいものなんですが、自分の頭の中にある本編以外のいろいろな物語を整理するために書いてみようかなと思い立ったわけです。

 なので、特に自分の小説をたくさんの人に読んでもらいたい、と思っているわけでもないので(逆にそんなことになったら恥ずかしいだけなので)、もし、間違ってこのブログに来た方は素通りしていただいても全然構いません。

でも、もし、本編も読んでみたいなと思われる方は こちら にありますので、どうぞお越しください。

 さて、とりあえず、始めますのは Under the Holm Oak Treeのサブストーリー「大きな樫の木の下で」です。左のカテゴリー、あるいは下記のリンクからお進みください。


○大きな樫の木の下で    
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 この話は、「翡翠館」にアップしたUnder the Holm Oak Treeのサブストーリーです。基本的にアーサーの視点で書いていきます。

                            10


ちなみに、本編は こちら にあります。
 8月半ばの日曜日、アーサー・ファリントンは伯母のマチルダ・ファリントンに会いに、ファリントン邸を訪れた。シティ郊外の高級住宅地にあるファリントン邸は、広大な庭に囲まれた壮麗なバロック様式の建造物で、館とか、屋敷と言うより宮殿に近い。アーサーは玄関前の広場に適当に車を止めると玄関に向かった。巨大な扉の横にはインターフォンのボタンもあるが、アーサーはドアに取り付けられている年代物のノッカーを使ってドアを叩いた。数十秒後、微かな音ともに扉が開いて、執事のネイサン・ブレッドが顔を覗かせた。
「これは、これは、アーサー様。ようこそおいでくださいました」
いかにも厳格な執事そのものといった風貌のネイサンがアーサーを見るなり顔をほころばせる。
「やあ、ネイサン。こっちに来るのもずいぶん久しぶりだが、みんな恙無かっただろうね」
「ええ、皆様お元気でいらっしゃいます。エドワード様が別邸に移られてから多少静かになりましたが」
「伯父上と伯母上はいるかい?」
「旦那様は北部の大学での集中講義でここ1週間ほど留守にされていらっしゃいます。奥方様はテラスの方です。どうぞ、お入りください」
ネイサンが館の中に通そうとするのをアーサーは断った。
「いや、こっちから回っていこう。庭も見たいし」
「では、テラスの方にコーヒーをお持ちします」
ネイサンは一礼してホールの中に引っ込むと扉を閉めた。アーサーはポーチの段を下りて、館の右手に向かった。ネイサンの言うテラスとは庭全体を見渡せる屋敷の裏手の方にある客間のテラスのことだ。アーサーは色とりどりの花が咲き乱れる美しい庭を右手に見ながら館を回り込むように歩いていった。
 
 テラスに置かれた籐椅子に座って手紙を読んでいたレディ・マチルダ・ファリントンはアーサーの足音に気が付いて顔を上げ、彼の姿を見つけると笑顔になって立ち上がった。
「アーサー。よく来たわね」
彼女がアーサーに向かって数歩足を進めた時には、彼は既に目の前に立っていて、レディ・ファリントンは自分より遥かに背の高い甥の体を抱きしめた。
「お久しぶりです。伯母上。お元気でしたか?」
アーサーは60歳に近いと言ってもまだ張りのあるレディ・ファリントンの頬にキスをして言った。
「ええ。あなたは?相変わらず仕事ばっかりしてるんでしょう」
彼女の言葉にアーサーは笑い声を上げた。
「いや、全く、その通りですよ。ここ数週間、食事と睡眠以外はほとんど仕事しかしてないことに気が付きまして。今日はちょっと気分転換にここに来たんです」
「本当にもう!」
レディ・ファリントンはわざとらしく溜息をついて、再び椅子に腰をおろした。アーサーも彼女の隣の椅子に座る。
「女嫌いと嘯くのもいい加減にして、早く結婚しなさい。あなたもう、37歳でしょう?このままだと本当に一生1人で仕事に明け暮れる寂しい人生を送ることになるわよ」
ここに来れば、その手の小言を聞かされることになるのはわかっていたが、それを承知の上でファリントン邸に足を運んだのは、むしろ、その小言を聞くためなのかもしれないと彼は思った。
「僕だってね、伯母上。これだ、と思う女性がいれば結婚したいんです」彼は本音を語った。「でも、なかなかいないんですよ。どうやら僕は愛の女神に見放されているのかもしれない」
「あなたが本気になって探さないからよ。そもそも、若い女性のいる所になんか行こうとしないじゃないの。おまけにあなたが自分のことを『女嫌い』と触回ってるせいで、女性の方から避けられてるのよ。わかってるの?」
「ええ、まあ」
アーサーはくすくす笑いながら曖昧に呟いた。昔はアーサーのナニーをしていて、今は家政婦をしているマーサもしょっちゅう同じことを言ってるが、レディ・ファリントンの小言は何故だか耳に心地いい。
「そうね、まず、あなたに必要なのは出会いの場ね。そうだわ、丁度良かった。ここに何通か」そういってレディ・ファリントンはテーブルの上に置いた手紙の山を手に取った。
「パーティーの招待状があるから、これに……」
「待ってください、伯母上」
アーサーは手紙を繰りだしたレディ・ファリントンの手を掴んだ。
「僕の探し求める女性は、そういうところにはいません」
「何故そんなことがわかるの?」
「伯母上は伯父上とどこで出会ったんですか?エドワードがマグダと出会ったのは、サウスロックの森の中、ヘンリーとアリスは公園で、ケインとユージェニーは……?高価な服にブランド物の靴やバッグ、それに美容とダイエットのことしか頭にない女性はお断りです」
「それは偏見というものよ」
レディ・ファリントンはそう言いながらも手紙の束をテーブルに戻し溜息を吐いた。
「あなたの言わんとすることはわかるわ。でもねえ……」
溜息と一緒に落とした彼女の肩を軽く叩いてアーサーは言った。
「僕のことは自分で何とかしますよ。伯母上は伯父上とエドワードとマグダとヘンドリックのことだけ考えていればいいでしょう」
「ああ、ヘンドリックと言えばね。まだ3ヶ月なのに、もう寝返りがうてるのよ。それにね……」
レディ・ファリントンは孫のことが話に出てきたとたん、ぱっと顔を明るくして、滔々と自慢の孫について語り始めた。
 
 「実は、ジョー・アビントンが自分の会社を引き継がないか、と言ってきたんです」
レディ・ファリントンの孫自慢が一段落つき、ネイサンが持ってきたコーヒーを口に出来るようになってからアーサーは言った。
「まあ、ジョーが? 彼の会社はうまくいってないの?」
レディ・ファリントンは口に運びかけたカップをソーサーに置いて心配そうにアーサーの顔を見つめた。
「いえ、彼の会社は大企業と言うほどではありませんが、堅実ですし、業績はいいんです。彼は引退して余生を静かに暮らしたいと言ってましたが……。それにしても、何故、僕なのかな?」
「そうねえ……、ロジャーもケネスも会社を継ぐ気はないようだ、と、以前ジョーが言ってたことがあるわ。2人とも学者でしょう?確かに会社経営には縁がないわね」
「別に息子に譲らなくても、会社内には生え抜きの優秀な人物もいるはずですが……」
「あなたなら任せて安心と思ったんじゃない?それで、その話受けるの?」
「さあ、まだ決めてません。今までいろんな会社の経営に係わってはきましたが、基本的に今まで1人で気ままにやってきましたからね。今更組織の中に入って……何をするのかな、と思わないわけではないんです」
「と言うことは、考えてみても良いと思っているのね」
「そうですね。この話が3年前に来たのであれば、すぐに断っていただろうとは思いますが……」
アーサーはそれっきり口を閉ざしてしまった。コーヒーを飲みながら、何か考え込んでいる様子だ。レディ・ファリントンはそんな彼を見て満足気に微笑んだ。
――どこか一箇所に腰を落ち着けるのはいいことだわ。彼も、そろそろそうするべきだと気付き始めたのよ――
 3歳の時に母親をなくしたアーサーを、レディ・ファリントンは自分の息子のように思い見守ってきた。一人息子のエドワードは若い頃、アーサーの真似をして独身主義を託っていたが、縁があってマグダという素晴らしい女性と出会い、結婚し、3ヶ月前に子供も生まれた。アーサーの異母兄弟たちは放っておいても、いずれ相手を見つけて結婚するだろう。今の彼女の気がかりは、アーサーが未だに独身で、結婚する気配がまるでないということだった。
――でも、彼にぴったりの女性がいたら、彼は必ず結婚して、良い夫、良い父親になることは間違いないんだけど――
問題は、そんな女性が本当にいるのか、いるとしても、彼が老人になってしまう前に出会うことが出来るのか、ということだった。
 
 アーサーはファリントン邸から自宅に帰るために車を運転しながら、ジョー・アビントンの会社の件を考えていた。1つの会社に腰をおろし、ひとつの会社のことだけを考え、経営していく……。ジョーから話を聞いたときにはそんな状況が酷く退屈なことのように思えた。彼の会社を引き継ぐということは、今のように多額の資金を動かし、会社の買収と経営の建て直しをいくつも同時並行的に行うというようなことはもう出来なくなるだろう。当然、収入も減る。
「収入か……」
アーサーは1人呟いた。これ以上金を稼いでどうするんだろうという考えが不意に浮かんでくる。
 アーサーの父親、ロドニー・ファリントンは、最愛の妻を亡くして以来、家への執着をなくしてしまったように旅に明け暮れるようになった。仕事にも就かない唯の風来坊だ。そんな父親に代わって、彼の友人であり、彼の家の管財人を務めていたジェームズ・マクラウドが、彼が父親から受け継いだ資産を運用して金を稼ぎ、アーサーたちの生活を支えていた。アーサーはそんなジェームズを見て育ち、自分も大学生になってから株で金を稼ぎ始め、稼いだ資金を元に株や為替相場、先物取引などに投じ、更に資産を増やしていった。
 稼いだ金は次の取引に使う他は、ほとんど弟たちのために積み立てていた。ニコラスの母親ジュリアも、テリーとタイラーの母親アンも家に滅多に寄り付かないロドニーに愛想を尽かし、弟たちを置いて家を出て行ってしまった。彼女たちがロドニーと結婚したのも贅沢な暮らしのためであって、もともと彼に対する愛情も薄かったのだろう。
 だが、その弟たちももう独立し、アーサーの支援はいらなくなった(もっとも、彼らが起こした事業が危なくなったら助けるつもりだが)。残るのはまだ9歳のオリアナだけだ。現実的にはそれほど収入は必要なくなった。5年前に廃屋同然となっていた母親の実家を買い取り、今は自分の家もある。これ以上金を稼いでいったい何に使うのだろう。綺麗なドレスや宝飾品を買ってあげる妻も、夏休みにバカンスに連れて行く子供もないのに……。
 アーサーは溜息をついてハンドルを叩いた。そして、もしかしたら、自分はジョーの話を受け入れるかもしれない、と思った。
 レディ・ファリントンを訪ねてから2週間ほどがたった8月の最後の日に、ジョー・アビントンがアーサーに電話を掛けてきた。簡単な近況報告の後、「それで、会社の件は考えてくれたかね」とジョーに尋ねられて、アーサーは「お引き受けします」と答えた。実のところ、ジョーが会社の件を持ち出した瞬間までは、どうしようか迷っていたのだ。ところが、考えるよりも先に口が動いて承諾してしまっていた。何事にも慎重な性格の彼としては極めて稀なことだった。
「おお、そうか。引き受けてくれるか!」
受話器の向こうで大喜びしているジョーに、「今の返事は撤回します」とは言い出しにくく、話を合せているうちに来週の日曜日に彼の家に行って細かい打合せをすることまで決められてしまった。
――僕はおかしくなったんだろうか――
受話器を置いて、アーサーは腕を組んだ。
 
 コーヒーを飲もうとキッチンに入ると、流し台でマーサがジャガイモの皮を剥いている側で、ジェームズがテーブルについて新聞を読んでいた。
「ジョーの会社を引き受けることになった」
アーサーはそう言ってジェームズの向かい側の席に座った。ジェームズは新聞を畳んで、
「それは、それは」と言った。「よく決断されましたね」
「決断したというか……、させられたというか……」
アーサーは言い淀んだ。
「あっさりと引き受けた自分が信じられない」
「いいことだと思いますよ」
マーサはアーサーの前にコーヒーを置いた。
「いつまでもふらふらと定職に就かないでいるから結婚も出来ないんです」
彼女の言葉にアーサーは苦笑した。マーサの論理では巨額の資金を動かしてのM&Aは定職のうちに入らないらしい。確かにどこかの会社に帰属しているわけではなく、自分で自由にやってることだから、マーサにしてみればアーサーの職業は自由業に分類されるのだろう。
「マーサ、僕は女嫌いなんだよ」
アーサーは自分の仕事についてくどくどと説明するつもりはなかったので、結婚しない理由をその一言で片付けようとした。が、彼女は一笑に付した。
「そんな戯言聞き飽きましたよ。本心では、エドワード様や、ドクター・バーグマンが羨ましいくせに」
結構図星だったのでアーサーは口を噤んだ。
「私達はいつまでも長生きすることは出来ないんです。いつまでも旦那様のお世話をするわけにはいかないんですよ」
マーサは椅子に座って真正面からアーサーを見詰めた。彼女の目には微かに涙が浮かんでいる。
「有能な家政婦はいくらでもいます。でも、心からあなたのことを愛して支えてくれる奥様がいないとこの先の人生、寂しいですよ」
そういいながら、マーサはエプロンの端で目をぬぐった。
「……」
困り果てたアーサーはジェームズに視線を移したが、彼はすまなさそうな顔をして再び新聞を開いた。大抵の問題にはたちどころに解決策を見出す彼も、こういう状況ではなす術がないらしい。
 レディ・ファリントンと同じ内容の小言ではあるが、マーサの小言はいつも湿っぽくなるのでアーサーは苦手だった。しかし、それも、マーサの彼に対する愛情が母親以上だという事の証だろう。
「まあ、できるだけ善処してみるよ」
アーサーはそういってコーヒーを手にして立ち上がり、キッチンを後にした。
 
 
 次の週の日曜日、アーサーはジョー・アビントンの自宅に向かった。彼の家は郊外の新興住宅地にあり、その住宅地は彼の会社が土地を購入し、造成し、区画整理をした上で、住宅を建てて開発した町だった。そこはジョーが思い描く理想的な街を具現化したような所で、それぞれの住宅の敷地は広く、緑が多く、閑静だ。彼の家はその住宅地の中でも一等地にあり、他のどの住宅よりも大きかった。
 アーサーが玄関をノックすると、ジョーの妻、メリッサ・アビントンが玄関の扉を開けて彼を迎え入れた。
「お久しぶりねえ。お元気でしたか?」
「ええ、あなたは如何です?」
「この季節は調子はいいのよ。でも、冬になるとね……」
小柄でぽっちゃりしたミセス・アビントンは少し顔を曇らせたがすぐに明るい声で言った。
「でも、あなたがジョーの会社を引き受けてくれて嬉しいわ。さあ、どうぞ。お茶の用意は出来てるのよ」
そして、アーサーは彼女に招きいれられて客間に入った。
 ジョー・アビントンは既に客間の肘掛椅子に座っていて、アーサーが入ってくると立ち上がり、彼の手をとって大きく振った。
「よく来たな。いやあ、承知してくれて本当に嬉しいよ」
「本当に僕でよかったのかと、あなたが後で後悔しなければいいのですが」
アーサーが言うと、ジョーは笑いながら彼の背中を叩いた。
「そんなことがあるはずがない。さあ、まずはお茶にしよう。飲みながら今後のことを話そうか」
 それから2人はお茶を飲みながら会社の引継ぎについて話し合った。アーサーがジョーの会社を引き継ぐと言っても、2つの方法がある。ひとつは、アーサーがジョーの持っている会社の株を全部買い取り、大株主になった上で名目的に実質的にも社長になる方法で、もう1つは、株はジョーが保有したまま、アーサーは役員として会社に入って社長に就任し、会社から役員報酬を受け取る、つまり、雇われ社長になるという方法だ。ジョーは株を買い取ってもらっても構わないと言ったが、アーサーはそれには気がひけた。なんといっても彼の会社ATHOMESはジョーが一代で築き上げた会社だ。全株を彼から買い取るということは、彼と会社との関係を完全に絶ってしまうということだ。
「僕はあなたの指名した取締役社長で構いません。あなたから経営権を預かるという形にし他方が良いと思うのですが……」
アーサーが言うと、ジョー・アビントンはくすくす笑った。
「僕のことを思って言ってくれてるのかな?それとも、会社の経営に飽きた放り出すための逃げ道かな?」
「ジョー、僕は……」
「いやいや、冗談だ。君がそんな無責任な男ではないことは知っている。うーん。じゃあ、こうしよう、とりあえず、株は私が保有しておこう。君が買い取りたくなったらいつでも売ろう。もっとも、君が雇われ社長だからといって、君に楯突くような社員は役員も含めて誰もいないと思うがね」
「そうですか?」
「うむ……。ただ、言っておきたいのは、私が大株主だからといって、君の経営に口を出すつもりは全くないということだ。君が思うように自由にやってくれ、ただし……」
ジョー・アビントンは一旦言葉を切った。
「ただし?」
アーサーが先を促すと、彼は徐に言った。
「会社の経営を君に任せるに当たって、1つだけ条件がある」
「何ですか?」
「私の秘書は、エレイン・ラングドンという女性なんだが、彼女を引き続き、君の秘書として使って欲しい」
「……」
アーサーは次に来る言葉を待っていたが、ジョーが何も言わないので眉間に皺を寄せて彼を見つめた。
「それだけ、ですか?」
「それだけだ」
「会社を任せる条件が、秘書を引き続き雇うということだけですか?」
「その通り」
「……」
アーサーは暫くの間沈黙した。その間に頭の中を整理してから質問をした。
「解雇はしませんが、配置換えというのではいけませんか?僕には秘書は必要ありません」
するとジョーはにべもなく言った。
「だめだ」
アーサーは眉間の皺を一層深めた。
「何故です?」
「秘書は必要だよ。君。取引先のお偉方が来た時、君が客にコーヒーを出すのかね?古臭い考え方かもしれないが、体面というものがある。それに、ミス・ラングドンは実に有能で、まさしく秘書としてうってつけの人物だ。適材適所。私は40年間、このことを心がけて仕事をしてきた。彼女を他の部署に配属するのは宝の持ち腐れというものだよ」
「……」
アーサーは腕を組んで考え込んだ。今まで1人で気ままに仕事をしてきたので、秘書を雇うという考えは全くなかった。忙しくて手が足りない時には誰か男子社員に手伝ってもらえばいいだろう、と軽く考えていたのだ。
――女は要らない――
 ミス・ラングドン、とジョーは言った。ということは未婚の女性ということだ。アーサーは心の中で溜息をついた。彼は自分の容姿がとにかく女性にとっては魅力があるらしいということは学生時代から気が付いていたが、正直言って、蝶が花に群がるように、彼の容姿と財力に惹きつけられて来る女性にはうんざりしていた。みんな最新の流行を追い求め、結果的に同じような服を着て同じような化粧をして、同じような話し方をする、中身が空っぽの女性たちだ。だから彼はそういった類の女性を遠ざけるために、ここ10数年ずっと「女嫌い」を通してきた。レディ・ファリントンもマーサもそんなことをするから女性が寄り付かなくなり、いつまでたっても素晴らしい女性と巡り会えないのだと言うが、一挙手一投足にいらいらする女性に煩わされないためなら一生独身でも構わないとアーサーは思っていた。
 ――そんな条件を出されるのなら、この話、断ってやろうか――と、思った時、ミセス・アビントンが部屋に入ってきた。
「お話は進んでますの?」
彼女は夫の隣の椅子に腰掛けて、おっとりとした笑みをアーサーに向けた。
「本当に、あなたがジョーの会社を引き受けてくれてよかったわ」彼女は胸に手を当てていかにも安心した様子で、ほう、と息を吐いた。
「これで、私もジョーも心残りなくファンチャルに行けるわ」
「ファンチャルに永住されるおつもりですか?」
「いえ、夏はこちらに帰ってこようかと思ってるの。でも、冬の間はねえ……、ここだと喘息が……」
アーサーはジョー・アビントンが会社を手放そうと考えた理由を思い出した。彼自身、高血圧の症状がだんだん悪くなっているということもあったが、第1の理由は、数年前から妻のメリッサが冬になると喘息を起こすようになったからだった。冷たい空気が喘息の引き金になっているらしい。冬の間だけでも暖かいところで暮らせば発作は避けられると医者に勧められて、アビントン夫妻はポルトガル領のファンチャルに引っ越すことを決めたのだった。
「……」
アーサーはもう一度心の中で溜息をついた。一旦引き受けると言った以上、今更断ることは出来そうにない。ミセス・アビントンは切実に暖かい地方で暮らしたがっている。父の従兄弟に当たるジョーにも、妻のメリッサにも、アーサーは子供の頃から世話になっていて、今回会社の件を引き受けたのはその恩返しの意味もあったのだ。
――秘書のことさえ我慢すれば……――
何とかなるだろう、とアーサーは考えた。もし、どうしても気に入らない女性なら。半年か1年後、ジョーに承諾を得て配置換えをしよう。それほど気に障らない女性なら、それに越したことはないが……。アーサーは心を決めて言った。
「わかりました。その条件、のみましょう」


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 「彼女は石の女だよ」と、ピーター・ディーズは言った。彼はジョー・アビントンの遠縁に当たる人物で、かなり遠いが、アーサーとも親戚関係にあり、今、ATHOMESの人事課長補佐をしている。アーサーはATHOMESの社長に就任するに当たり、重役たちとの顔合わせで会社を訪れた際、ピーターに会って、今後自分の秘書になるエレイン・ラングドンなる女性について尋ねてみたのだ。
 「彼女はまあ、仕事はよく出来る女性で……、しかし……」ピーターはそれから言い淀んで、しばらく間を置いてから言った。「社内の評判はあまりよくない」
「というと?」
アーサーが促すと、彼は考え込んでから慎重に話し始めた。
「いや、確かに仕事は正確で迅速で申し分ない。だが、いつも冷静沈着な顔をして、笑ったところを見たことがない、いや、僕だけじゃない。みんなそう言う。化粧をせず、いつも地味な服を着ていて、仕事に関係する以外の話は誰ともしないし、冗談や軽口の類は澄ました顔で受け流す。ついたあだ名が「石の女」だ。例え美人でも、あれではだれも寄り付かない。秘書としては優秀なんだが、女性としてはね……。もっとも」
ピーターはにやりと笑った。
「君は女嫌いなんだから、その方がいいだろう? お色気むんむんの秘書よりは」
確かにそうだ、とアーサーは軽く調子を合わせ、礼を言ってピーターと別れた。そして、歩きながら考えた。確かに、色仕掛けで男に言い寄ってくるような女ではないのだろう。だが、きっと、能力こそが全てという信条を持ち、自信満々で自分より劣った人間を鼻で笑うような女に違いない。アーサーは心の中で呟いた。
――そんな女も大嫌いだ――
 エドワードの妻、マグダは、大学の博士課程を修了して教育学と児童心理学の2つの博士号を持っている才女だが、彼女に関して言えば、ただ単に研究熱心というだけで、人を見下すこともしないし、男よりも抜きん出でやろうという野心は全く持っていない。それが証拠に、あれだけの学歴を持ちながら、結婚したとたん、専業主婦になり、家事と子育てに専念している(最も、家事の方は優秀な使用人がいるからやることはほとんど無いのだが)。だが、ピーターの話を聞く限り、ミス・ラングドンという女性がマグダのような女性であるとは考えにくい。
――傲慢、冷淡、高飛車――
考えれば考えるほど気分が重くなるのをアーサーは感じた。半年我慢できればいいだろうか。そして、その後配置換えをしよう。と彼は心に決めた。

 いくらジョーが株のほとんどを保有している大株主で社長だといっても、彼の鶴の一声で社長が変わることについては少なからず社内から反発が出るはずだと思っていたアーサーは完全に肩透かしをくらった。臨時株主総会が開催され、20人ほど集まった株主の間でアーサーが社長に就任することについて、一切異論が出ないまま、和気藹々と総会は短時間で終了し、その後の重役や役員たちとの会談も、実に和やかな雰囲気で終始した。名誉職に近い役員はさておき、重役の中には会社の創設期からジョーと一緒に仕事をしてきた叩きあげの人物も数人いたが、誰も、アーサーが社長になることについて異議ありと声をあげる者はいなかったし、逆にジー以上にアーサーを歓迎していた。
 「この厳しい国内情勢、国際情勢を考えるとね」と、そのうちの1人レスター・クアークはにこにこ顔で言った。「これからもこの会社を維持するには若い人間に任さないとダメだと思うんだ。君なら申し分ない。若い、そして有能だ。多分他の誰よりもね」
アーサーは、ジョーが会社経営者にしては度を越してお人よしなのは知っていたが、まさか、会社の重役たち全員がお人よしだとは思ってもいなかった。この会社、よく今まで潰れもせず、乗っ取られもしなかったな、とほとんど驚愕に近い感動を覚えるほどだ。
「正式に社長に就任するのは9月27日ということで……」
ジョーが手帳を捲りながら言った。
「その前の金曜日、24日の午後に最後の引継ぎをしよう。そのとき秘書にも会わせるよ」
「わかりました」
アーサーは秘書に関してはもう、何の関心もなかった。どういう女性であれ、ジョーに配置換えの相談が出来るまで(多分半年位だろうか)きちんと仕事さえしてくれればいい。仕事の面に関しては、ジョーとピーターの折り紙つきだから大丈夫だろう。

 24日、アーサーはジョーと待ち合わせて、会社に近いレストランで一緒に食事をし、それから2人でATHOMES本社ビルに向かった。
「さあ、月曜日からここが君の仕事場だ」
ジョーはそういって社長室と書かれたドアを開けた。ドアの先は小さな部屋で、左手にキッチンへ通じるドア、正面におそらく本当の社長室に通じるドア、そして、右手に事務机があり、そこに艶やかな薄茶色の髪をきっちり結い上げている女性が座っていてパソコンの画面を見ていたが、彼らが入っていくと彼女はクイ、と顔を持ち上げた。
「……」
きつい眼鏡の奥の、ガラス細工のような美しいグレイの瞳が目に飛び込んできてアーサーは一瞬固まった。何かが胸に突き刺さったような気がして、彼は初めて感じるこの感覚の正体を見極めようとしたが、今はそんな状況ではなさそうだった。
「エレイン、アーサー・ファリントンを紹介しよう」
ジョーの言葉で、彼女は弾かれたように立ち上がり、アーサーの前に立った。女性にしては背が高い方だが、長身のアーサーと比べると、まだ頭半分くらい低い。
「エレイン、こちらが来週から新しい社長になる、アーサー・ファリントン。アーサー、こちらが秘書のエレイン・ラングドンだ。月曜日から君の秘書になる」
「はじめまして」
ミス・ラングドンは心持ち蒼ざめた顔で手を差し出した。アーサーは「はじめまして」と言いながらその手をゆっくりと握った。とても細くてしなやかで、そして冷たい手だった。その冷たい手は、グレイの瞳と同じようにアーサーの胸に何かを残した。

 ジョーとピーターの言った通り、確かにミス・ラングドンは仕事が出来た。会社全体の日程をきちんと把握していて、スケジュール管理は完璧だし、あまり重要ではない手紙やメールへの返事を代わりに書かせても、もしかしたらアーサー自身が書くよりも的確かもしれないというものを書く。要求した資料は驚くべき速さで探し出し、きっちりそろえて提出する。その他、来客への対応も、朗らかさに欠けるとはいえ礼儀正しく、彼女の美貌も相まって、客のほとんどは彼女に賞賛の眼差しを贈って帰っていく。社長に就任して1週間で、アーサーは彼女を秘書として使わないのは宝の持ち腐れだと言ったジョーの言葉は正しかったと認めざるを得なかった。そして、自分がミス・ラングドンに対して持っていた先入観は間違いかもしれないとも思いはじめてきた。
 彼女のことを「石の女」と言ったピーターの言葉はそれはそれで正しかった。とにかく彼女は笑わない。流石に来客に対しては控えめに微笑むが、アーサーにはその程度の笑みでさえ向けたことがない。いや、笑わないばかりではない。アーサーは未だに彼女の顔に感情というものを見たことがなかった。いつも仮面のような取り澄ました顔をして、アーサーの指示を聞き、仕事の報告をし、書類を提出する。アーサーは自分が無愛想な人間だと言うことを棚に置いて、こんな愛想のない女は見たことがない、と思った。だが、彼女は彼が予想していた女とは若干違っていた。奇妙な事に、彼女に感じるのは高慢でも冷淡でもなく、怖れと悲しみなのだ。何を怖れていて、何を悲しんでいるのか、アーサーにはまるでわからなかったが、仕事がスムーズにはかどる限りはそんなことを詮索する必要は全くなく、彼は仕事に集中した。そして、仕事に集中できると言うことは、ミス・ラングドンが自分にとっては全く気に障らない女性だからだということに気がついた。少なくとも、その点に関しては嬉しい誤算だった。


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