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 レディ・ファリントンを訪ねてから2週間ほどがたった8月の最後の日に、ジョー・アビントンがアーサーに電話を掛けてきた。簡単な近況報告の後、「それで、会社の件は考えてくれたかね」とジョーに尋ねられて、アーサーは「お引き受けします」と答えた。実のところ、ジョーが会社の件を持ち出した瞬間までは、どうしようか迷っていたのだ。ところが、考えるよりも先に口が動いて承諾してしまっていた。何事にも慎重な性格の彼としては極めて稀なことだった。
「おお、そうか。引き受けてくれるか!」
受話器の向こうで大喜びしているジョーに、「今の返事は撤回します」とは言い出しにくく、話を合せているうちに来週の日曜日に彼の家に行って細かい打合せをすることまで決められてしまった。
――僕はおかしくなったんだろうか――
受話器を置いて、アーサーは腕を組んだ。
 
 コーヒーを飲もうとキッチンに入ると、流し台でマーサがジャガイモの皮を剥いている側で、ジェームズがテーブルについて新聞を読んでいた。
「ジョーの会社を引き受けることになった」
アーサーはそう言ってジェームズの向かい側の席に座った。ジェームズは新聞を畳んで、
「それは、それは」と言った。「よく決断されましたね」
「決断したというか……、させられたというか……」
アーサーは言い淀んだ。
「あっさりと引き受けた自分が信じられない」
「いいことだと思いますよ」
マーサはアーサーの前にコーヒーを置いた。
「いつまでもふらふらと定職に就かないでいるから結婚も出来ないんです」
彼女の言葉にアーサーは苦笑した。マーサの論理では巨額の資金を動かしてのM&Aは定職のうちに入らないらしい。確かにどこかの会社に帰属しているわけではなく、自分で自由にやってることだから、マーサにしてみればアーサーの職業は自由業に分類されるのだろう。
「マーサ、僕は女嫌いなんだよ」
アーサーは自分の仕事についてくどくどと説明するつもりはなかったので、結婚しない理由をその一言で片付けようとした。が、彼女は一笑に付した。
「そんな戯言聞き飽きましたよ。本心では、エドワード様や、ドクター・バーグマンが羨ましいくせに」
結構図星だったのでアーサーは口を噤んだ。
「私達はいつまでも長生きすることは出来ないんです。いつまでも旦那様のお世話をするわけにはいかないんですよ」
マーサは椅子に座って真正面からアーサーを見詰めた。彼女の目には微かに涙が浮かんでいる。
「有能な家政婦はいくらでもいます。でも、心からあなたのことを愛して支えてくれる奥様がいないとこの先の人生、寂しいですよ」
そういいながら、マーサはエプロンの端で目をぬぐった。
「……」
困り果てたアーサーはジェームズに視線を移したが、彼はすまなさそうな顔をして再び新聞を開いた。大抵の問題にはたちどころに解決策を見出す彼も、こういう状況ではなす術がないらしい。
 レディ・ファリントンと同じ内容の小言ではあるが、マーサの小言はいつも湿っぽくなるのでアーサーは苦手だった。しかし、それも、マーサの彼に対する愛情が母親以上だという事の証だろう。
「まあ、できるだけ善処してみるよ」
アーサーはそういってコーヒーを手にして立ち上がり、キッチンを後にした。
 
 
 次の週の日曜日、アーサーはジョー・アビントンの自宅に向かった。彼の家は郊外の新興住宅地にあり、その住宅地は彼の会社が土地を購入し、造成し、区画整理をした上で、住宅を建てて開発した町だった。そこはジョーが思い描く理想的な街を具現化したような所で、それぞれの住宅の敷地は広く、緑が多く、閑静だ。彼の家はその住宅地の中でも一等地にあり、他のどの住宅よりも大きかった。
 アーサーが玄関をノックすると、ジョーの妻、メリッサ・アビントンが玄関の扉を開けて彼を迎え入れた。
「お久しぶりねえ。お元気でしたか?」
「ええ、あなたは如何です?」
「この季節は調子はいいのよ。でも、冬になるとね……」
小柄でぽっちゃりしたミセス・アビントンは少し顔を曇らせたがすぐに明るい声で言った。
「でも、あなたがジョーの会社を引き受けてくれて嬉しいわ。さあ、どうぞ。お茶の用意は出来てるのよ」
そして、アーサーは彼女に招きいれられて客間に入った。
 ジョー・アビントンは既に客間の肘掛椅子に座っていて、アーサーが入ってくると立ち上がり、彼の手をとって大きく振った。
「よく来たな。いやあ、承知してくれて本当に嬉しいよ」
「本当に僕でよかったのかと、あなたが後で後悔しなければいいのですが」
アーサーが言うと、ジョーは笑いながら彼の背中を叩いた。
「そんなことがあるはずがない。さあ、まずはお茶にしよう。飲みながら今後のことを話そうか」
 それから2人はお茶を飲みながら会社の引継ぎについて話し合った。アーサーがジョーの会社を引き継ぐと言っても、2つの方法がある。ひとつは、アーサーがジョーの持っている会社の株を全部買い取り、大株主になった上で名目的に実質的にも社長になる方法で、もう1つは、株はジョーが保有したまま、アーサーは役員として会社に入って社長に就任し、会社から役員報酬を受け取る、つまり、雇われ社長になるという方法だ。ジョーは株を買い取ってもらっても構わないと言ったが、アーサーはそれには気がひけた。なんといっても彼の会社ATHOMESはジョーが一代で築き上げた会社だ。全株を彼から買い取るということは、彼と会社との関係を完全に絶ってしまうということだ。
「僕はあなたの指名した取締役社長で構いません。あなたから経営権を預かるという形にし他方が良いと思うのですが……」
アーサーが言うと、ジョー・アビントンはくすくす笑った。
「僕のことを思って言ってくれてるのかな?それとも、会社の経営に飽きた放り出すための逃げ道かな?」
「ジョー、僕は……」
「いやいや、冗談だ。君がそんな無責任な男ではないことは知っている。うーん。じゃあ、こうしよう、とりあえず、株は私が保有しておこう。君が買い取りたくなったらいつでも売ろう。もっとも、君が雇われ社長だからといって、君に楯突くような社員は役員も含めて誰もいないと思うがね」
「そうですか?」
「うむ……。ただ、言っておきたいのは、私が大株主だからといって、君の経営に口を出すつもりは全くないということだ。君が思うように自由にやってくれ、ただし……」
ジョー・アビントンは一旦言葉を切った。
「ただし?」
アーサーが先を促すと、彼は徐に言った。
「会社の経営を君に任せるに当たって、1つだけ条件がある」
「何ですか?」
「私の秘書は、エレイン・ラングドンという女性なんだが、彼女を引き続き、君の秘書として使って欲しい」
「……」
アーサーは次に来る言葉を待っていたが、ジョーが何も言わないので眉間に皺を寄せて彼を見つめた。
「それだけ、ですか?」
「それだけだ」
「会社を任せる条件が、秘書を引き続き雇うということだけですか?」
「その通り」
「……」
アーサーは暫くの間沈黙した。その間に頭の中を整理してから質問をした。
「解雇はしませんが、配置換えというのではいけませんか?僕には秘書は必要ありません」
するとジョーはにべもなく言った。
「だめだ」
アーサーは眉間の皺を一層深めた。
「何故です?」
「秘書は必要だよ。君。取引先のお偉方が来た時、君が客にコーヒーを出すのかね?古臭い考え方かもしれないが、体面というものがある。それに、ミス・ラングドンは実に有能で、まさしく秘書としてうってつけの人物だ。適材適所。私は40年間、このことを心がけて仕事をしてきた。彼女を他の部署に配属するのは宝の持ち腐れというものだよ」
「……」
アーサーは腕を組んで考え込んだ。今まで1人で気ままに仕事をしてきたので、秘書を雇うという考えは全くなかった。忙しくて手が足りない時には誰か男子社員に手伝ってもらえばいいだろう、と軽く考えていたのだ。
――女は要らない――
 ミス・ラングドン、とジョーは言った。ということは未婚の女性ということだ。アーサーは心の中で溜息をついた。彼は自分の容姿がとにかく女性にとっては魅力があるらしいということは学生時代から気が付いていたが、正直言って、蝶が花に群がるように、彼の容姿と財力に惹きつけられて来る女性にはうんざりしていた。みんな最新の流行を追い求め、結果的に同じような服を着て同じような化粧をして、同じような話し方をする、中身が空っぽの女性たちだ。だから彼はそういった類の女性を遠ざけるために、ここ10数年ずっと「女嫌い」を通してきた。レディ・ファリントンもマーサもそんなことをするから女性が寄り付かなくなり、いつまでたっても素晴らしい女性と巡り会えないのだと言うが、一挙手一投足にいらいらする女性に煩わされないためなら一生独身でも構わないとアーサーは思っていた。
 ――そんな条件を出されるのなら、この話、断ってやろうか――と、思った時、ミセス・アビントンが部屋に入ってきた。
「お話は進んでますの?」
彼女は夫の隣の椅子に腰掛けて、おっとりとした笑みをアーサーに向けた。
「本当に、あなたがジョーの会社を引き受けてくれてよかったわ」彼女は胸に手を当てていかにも安心した様子で、ほう、と息を吐いた。
「これで、私もジョーも心残りなくファンチャルに行けるわ」
「ファンチャルに永住されるおつもりですか?」
「いえ、夏はこちらに帰ってこようかと思ってるの。でも、冬の間はねえ……、ここだと喘息が……」
アーサーはジョー・アビントンが会社を手放そうと考えた理由を思い出した。彼自身、高血圧の症状がだんだん悪くなっているということもあったが、第1の理由は、数年前から妻のメリッサが冬になると喘息を起こすようになったからだった。冷たい空気が喘息の引き金になっているらしい。冬の間だけでも暖かいところで暮らせば発作は避けられると医者に勧められて、アビントン夫妻はポルトガル領のファンチャルに引っ越すことを決めたのだった。
「……」
アーサーはもう一度心の中で溜息をついた。一旦引き受けると言った以上、今更断ることは出来そうにない。ミセス・アビントンは切実に暖かい地方で暮らしたがっている。父の従兄弟に当たるジョーにも、妻のメリッサにも、アーサーは子供の頃から世話になっていて、今回会社の件を引き受けたのはその恩返しの意味もあったのだ。
――秘書のことさえ我慢すれば……――
何とかなるだろう、とアーサーは考えた。もし、どうしても気に入らない女性なら。半年か1年後、ジョーに承諾を得て配置換えをしよう。それほど気に障らない女性なら、それに越したことはないが……。アーサーは心を決めて言った。
「わかりました。その条件、のみましょう」


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